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ノーベル平和賞 17歳 マララさん授賞!ものすごい講演動画

公開日: : 最終更新日:2015/01/05 トピック

ノーベル平和賞はマララさんでした

ノーベル平和賞は17歳のマララ・ユサフザイさんが授賞しました。
史上初の17歳のパキスタンの女性がノーベル平和賞です。
日本の憲法9条は選ばれませんでしたが
次代の平和を願う若い女性が授賞したことはとても嬉しい事ですね。

マララ・ユサフザイさんといわれても一部の人しか
馴染みのない名前かも知れません。
この動画をご覧下さい。
17歳のしっかりした平和を愛する女性教育者だと言うことが解ります。

マララ・ユサフザイさんの国連本部でのスピーチ(7月12日) 日本語字幕

マララ・ユサフザイさん

ノーベル平和賞受賞者の史上最年少のマララさん。
17歳という若さでの受賞者というのも初めて。
授賞理由について選出委員はこう言っています。
「子供や若者への抑圧への戦い」
「子供たちの教育の権利のために努力」
この17歳の女性の生き方が評価されました。
国連でのスピーチを聞いても17歳とは思えないほど
しっかりした演説をしているので、驚きました。

◎以下はマララ・ユサフザイさんが受賞後に発表した
 朝日DIGITALからの引用です。
さすが、17歳でノーベル平和賞を授かるだけのことはあります。
17歳から活動を始めても50年、70年、それ以上運動が続けられます。
小さいときから平和の意味と教育を続けて生きるという
今までになかった、まったく新しいタイプの少女の挨拶です。
日本中の人に読んでいただきたい内容です。
 

■ノーベル平和賞・マララさんスピーチ<全文>

 今年のノーベル平和賞に決まったパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)は10日午後、現在住む英中部バーミンガムの公共図書館の講堂で、母語ではない英語でスピーチをした。学校の授業中に受賞を知ったというマララさんは、全ての子どもが教育を受けられる社会の実現をめざし、活動を続けていく決意を力強く語った…

ノーベル平和賞という素晴らしい賞をいただけることを名誉に思います。この賞を受ける初めてのパキスタン人、初めての若い女性、初めての若者であることを誇りに思います。

 そして、この賞をインドのカイラシュ・サティヤルティさんと分かち合えて、とてもうれしいです。子どもの権利と、隷属的な児童労働と闘う彼の素晴らしい仕事には刺激を受けます。

 子どもの権利の保護に多くの方々が取り組んで下さっていることがうれしいですし、私は一人じゃないんだなって思えます。彼は本当にこの賞にふさわしい方です。

 彼とこの賞を分かち合えることを、光栄に思います。

 ノーベル平和賞を頂くことになる私たち2人は、一人がパキスタン、もう一人がインドの出身です。一人はヒンドゥー教、もう一人はイスラム教をあつく信仰しています。この事実は、パキスタンとインド、あるいは異なる宗教の間にいる人々に愛のメッセージとなって届くでしょう。そして私たちはお互いを支持し合っています。

 肌の色や話す言語、信仰する宗教が問題なのではありません。お互いを人間として扱い、尊敬し合うべきなのです。そして、私たちは、子どもの権利、女性の権利、すべての人々の権利のために闘うべきです。

 まずはじめに、私の家族、私を愛し支えてくれる親愛なる父母に感謝したいと思います。父がいつも言うように、父が何か特別なことをしてくれたわけではありませんが、父は私の翼を折らないでくれました。ありがたいことに父は翼を折るのではなく、私を羽ばたかせてくれ、目標を達成させてくれました。女の子が奴隷になるのが当然ではない世界、女の子が人生を前進する力を持てる世界があることを、彼は私に教えてくれました。

 女性は母親や姉や妹、そして妻であるだけではなく、アイデンティティーを持ち、認知されるべきです。女の子は、男の子と同じだけの権利を持っているのです。

 たとえ、私の弟が「マララはとてもよく扱われているのに、自分はそうじゃない」と思ったとしても、まぁ、それはそれでいいのです。

 私がノーベル平和賞に決まったと知るまでのいきさつをお話ししたいと思います。

 とても面白いことに、当時、私は化学の授業で電気分解の勉強をしていたんです。時間は10時15分だったと思います。ノーベル平和賞の発表はもう終わっている時間ですから、まさか自分に決まったなんて思いもしませんでした。10時15分になったとき、私は選に漏れたと確信していました。すると突然、先生が教室に入ってきて私を呼び、「大切なお話があるのよ」と言うのです。本当にびっくりしました。先生は「おめでとう。ノーベル平和賞に決まったわよ。子どもたちのために働いている立派な方と一緒にね」と言ってくれたのです。

 感情をちゃんと表現するのって難しいなって思うのですが、とにかく、「本当に光栄」というのが私の気持ちです。そして、自分がより力強く、より勇敢になったように感じました。この賞は、身に着けたり、部屋に飾ったりするための金属やメダルではありませんが、私の歩みを前に進め、私に自信を持たせてくれる励みになります。私の活動を支えてくれる人たちがいることを、私に教えてくれます。私たちは結束しています。すべての子どもたちが良質な教育を受けられることを確実にしたいです。それだけに、この賞は、私にとって本当に素晴らしいものです。

 ただ、ノーベル平和賞に決まったことがわかっても、学校を早退する気はありませんでした。むしろ、ちゃんと授業を終えよう、と。物理の授業に行き、英語の授業に行きました。まったくいつも通りの一日だったと思います。先生方や同級生たちの反応はとてもうれしいものでした。みんなが私のことを「誇りに思うよ」って言ってくれて、本当にハッピーでした。私を愛し、支えてくれる学校、先生方、同級生たちに心から感謝します。みんなに励まされ、助けられています。本当に幸せです。

 ただ、ノーベル平和賞に選ばれたからといって、それが試験の役に立つわけじゃないですよね。こればっかりは自分のがんばり次第ですから。それでも、みんなに支えられていることが、私はうれしいです。

 受賞が決まったからといって、これでおしまいではありません。これは私の活動のゴールではなく、ここからがスタートなのだと思います。すべての子どもたちに学校へ行ってほしい。いまだに5700万人もの子どもたちが教育を受けられず、小学校にすら通えていません。すべての子どもたちに学校へ行って、教育を受けてもらいたいです。

 私自身、(パキスタンの)スワート渓谷で同じ境遇にいました。ご存じの通り、そこはタリバーンの支配下にあり、学校に行くことが許されていませんでした。当時、私は自分の権利のために立ち上がり、声を上げると言いました。誰かがどうにかしてくれるのを待っているような余裕はありませんでした。

 そこには、二つの道しかありませんでした。声を上げずに殺されるのを待つか、声を上げて殺されるか。私は後者を選びました。当時はテロの恐怖があり、女性は家の外に出ることが許されず、女子教育は完全に禁じられ、そして人々は殺されていました。でも、私は学校に戻りたかった。だから、声を上げたのです。私も教育を受けられない女の子の一人でしたが、学びたかったのです。勉強をして、将来の夢を実現したかったのです。

 普通の子どもと同じように、私にも夢がありました。あのころ、私は医者になりたいと思っていました。でも、今は政治家になりたいです。それも、良い政治家に。

 学校に行けないと聞いたとき、もう医者にはなれないんだな、と思いました。なりたいものになれるなんてことはなくなるんだなって。きっと、13か14歳で結婚するような人生を送るんだろうなって。学校にも行けず、なりたいものにもなれず。だから、声を上げようって決めたんです。

 自分の経験を通じて、世界中の子どもたちに、権利のために立ち上がらないとダメだよって伝えたいです。誰かを待っていてはダメなんです。子どもたちの声はずっと力強いんです。弱っちくみえるかもしれないけど、誰も声を上げない時に声を上げれば、その声は大きく響き、みんなが耳を傾けざるを得なくなるのです。私のメッセージはこうです。万国の子どもたちよ、権利のために立ち上がれ。

 私がいただくこのノーベル平和賞ですが、ノーベル賞委員会が私にだけくれるわけではないはずです。この賞は、声なき声の持ち主であるすべての子どもたちのためにあります。私は彼らのために語り、彼らとともに立ち上がり、自分たちの声を届けようという彼らの運動に連帯します。世界は彼らの声に耳を傾けなければなりません。子どもたちには権利があります。良質な教育を受け、児童労働を免れ、人身売買にあわないですむ権利が。そして、幸せな人生を送る権利があるのです。だから私はこうした子どもたちに寄り添います。今回の賞はまさに彼らのためのもの。彼らに勇気を与えるものなのです。

 最後に、尊敬するカイラシュさんと電話でお話ししたことをお伝えします。名字をきちんと発音できなくてごめんなさい。カイラシュさんとだけ呼んでもいいでしょうか。

 つい先ほど彼と電話で、すべての子どもが学校に通い、良質な教育を受けることがいかに大切か、話し合いました。また、どれほどたくさんの災いが世間から知られないまま、子どもたちに及んでいるかについてもです。こうした問題に取り組み、子どもたちが良質な教育を受け、災いにあわなくてもすむよう、2人で一緒に行動しようと決めました。

 また、カイラシュさんがインド出身、そして私がパキスタン出身ということで、両国の強い関係を築き上げるよう努力していきます。ご存じの通り、両国の国境は緊迫し、状況は私たちが望まない方向へと進んでいます。インド、パキスタンの関係が良好であってほしいです。緊張状態にあるのは本当に残念で、悲しいことです。両国には対話をし、和平について話し合い、進展について考え、開発を進めていってほしいと思うからです。どちらの国も戦いではなく、教育や開発、発展に専念することが重要です。それがお互いにとって良いことなのですから。

 だから2人で決めました。カイラシュさんには、尊敬するインドのモディ首相に12月のノーベル平和賞授賞式に出席するようお願いしていただきます。そして、私も尊敬するパキスタンのシャリフ首相に出席をお願いすると約束しました。

 私からも両首相に、ぜひ参加をお願いします。私は心から平和の力を信じています。寛容と忍耐の力を信頼しています。両国が発展するためには平和で良好な関係が何より重要です。それが、両国が成功し、発展するための道筋です。謹んでお願いします。どうか、お二人が聞き届けてくれますように。

 最後になりましたが、皆様の支援に心から感謝しています。私は自分がノーベル賞に値するとは思わないと言ってきました。今もそう思っています。この賞は、これまで私がやってきたことに対するご褒美であるだけではなく、私が活動を前に進め、継続できるように、私に希望と勇気をくれるものです。自らを信じ、自分がひとりぼっちではなく、数百、数千そして数百万人もの人に支えられていると知るためのものです。

 いま一度、みなさまにお礼を申し上げます。

出典:http://news.asahi.com/c/ag5ZbE5PzFrniKaD

カイラシュ・サティアルティ氏

2014年のノーベル平和賞を授賞したのは二人。
マララさんとカイラシュ・サティアルティ(60歳)氏でした。
カイラシュ・サティアルティ氏はインドの児童権利擁護活動家の方です。

日本の憲法九条

今年のノーベル平和賞にはひょっとして日本の「憲法九条」が選ばれるのでは?
こんな思いで期待した人も多かったのではないでしょうか。
日本の「憲法9条を保持する日本国民」が事前調査でトップになった、と
オスロ国際平和研究所(PRIO)の報道が話題を呼んだからです。

憲法9条は、戦争の放棄と戦力を持たないことをうたっています。
第二章 戦争の放棄 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第九条 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。

以上が憲法九条として戦後、日本国民が平和理念として掲げてきた「9条」です。
この憲法、つまり不戦の誓いともいわれる「9条」が
ノーベル平和賞候補にあがったのですから、多くの日本国民は興奮したわけです。

「9条」がノーベル平和賞を授賞できるように

いま日本では安倍政権により憲法改正が言われており
すでに2014年7月には、集団的自衛権を行使できるという閣議決定がなされました。
これは、いかなる場合も「戦いによる解決はしない」という9条の解釈を変えたもので
戦後70年、自衛のための自衛隊さえ、一切の武力活動を禁止してきましたが
時の政府の判断により、戦えることを可能にした決定だとして憂慮されています。

このような国の動きもノーベル平和賞を逃した要因になったかも知れません。
安倍政権も平和を愛する日本国民を代表する総理です。
ただ、平和を願う正義感と方法論に武力可が含まれていることは残念です。
しかし、9条は改正されたわけではありません。
日本は来年も、再来年もノーベル平和賞へエントリーし、
不戦の誓いを全世界へアピールする必要があると思います。

ノーベル平和賞授賞!女性第1号「ベルタ・フォン・ズットナー」

ノーベル平和賞と女性について調べて見ました。
女性で初めてノーベル平和賞に選ばれたのはノーベル死後、9年目。
個人的にもノーベルと関係が深かった「ベルタ・フォン・ズットナー」という、
オーストリアの平和活動家が1905年に授賞していることが解りました。

ベルタ・フォン・ズットナーとは、ノーベルが新聞に
秘書兼家政婦募集の広告を出して採用した女性です。
ノーベルはこのベルタ・フォン・ズットナーが大変お気に入りだったようです。

しかし、数カ月で彼女はノーベルの元を去りました。
理由はベルタに恋人がいて、彼と結婚するために去ったといわれています。
「ノーベルはベルタ・フォン・ズットナーに恋をしていた」ともいわれています。
すでに高齢だったノーベルは、きっとがっかりしたのでしょうね。

その後、ベルタは小説「武器を捨てよ!」を執筆。
これをきっかけにベルタは平和運動に没頭しますが資金的に苦労されていたようです。
ベルタはノーベルに手紙で資金援助を求めています。ノーベルはこれに応じていました。
ベルタがノーベル平和賞に選ばれたのはノーベル死後9年後の1905年でしたが
「もし彼女がいなかったら、ノーベル平和賞がつくられることはなかった」という識者もいます。
ノーベルとベルタ、このひとつの愛からノーベル平和賞がつくられた。
愛が世界を救うという、ノーベル平和賞の理念はこうして生まれたのでしょうか・・・。

マララ・ユサフザイさんがノーベル平和賞を授賞する事を予見したかのように
10月11日からオーストリアの女優マクシー・ブラハさんが
一人芝居で「ベルタ・フォン・ズットナー」の生涯を日本で演じます。

美しく素敵な女優マクシー・ブラハが横浜をスタートに、全国を回るそうです。
ノーベルとベルタ・・・公演を通して平和に感動するのもいいかもしれません。

オーストリアの女優マクシー・ブラハが、ベルタ・フォン・ズットナーの生涯を描いた一人芝居で日本ツアーを行う。日本公演のために、日本語のナレーションが用意されている。ノーベル平和賞を受賞したオーストリアの平和活動家、ベルタ・フォン・ズットナーの没後100年を記念し、この作品が日本各地で上演される。

出典:http://www.austrianculture.jp/theater.html

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